神戸のスタジアム・2-夢の舞台、神戸のスタジアム・2-神戸中央球技場神戸市立中央球技場。通称、神戸中央。 かつて、サッカーの神様ペレも絶賛したフィールドを持つこの球技場は、1970(昭和45)年に完成した。 神戸市兵庫区御崎町にあるこの球技場は、もともとは神戸市の競輪場(1960年12月閉鎖)の跡地に、 2万2千名以上の署名を集めて、国内初のナイター設備を持った球技場として完成した。 釜本の200ゴール記念の200ゴールは、神戸中央で生まれた。 1981(昭和56)年11月1日、対本田技研(現・ホンダFC)戦。 左サイドからのグラウンダーのパスをいったん外へ開いたポジションからニアに走り込み、 左足のシュートを決めた。この日はヘディングで201点目も記録。 1983年11月7日、ベッケンバウアーは北米サッカーリーグ(NASL)のニューヨーク・コスモスの一員として 3度目の来日を果たす。 来日直前、すでに母国のハンブルガーSVでのプレーを最後に引退していたが、 日本でのさよならゲームとしてベッケンバウアーの特別参加が企画されたのであった。 この時のニューヨーク・コスモスも絢爛豪華なメンバーで、 1970年代のサッカーを知る人にとっては心が躍ったはずである。 キナーリャ、ヨハン・ニースケンス、カルロス・アルベルト、フリオ・セサール・ロメロ・・・ FIFA世界選抜チームを名乗ってもおかしくない程の豪華メンバーであった。 (左)中央入口の上にある表示。 (右)メインスタンド寄り、南側からの写真。 日本や世界のプレーヤーに絶賛されたフィールドを持つ、神戸中央はその後、 1985年に神戸ユニバが完成しても球技専用スタジアムとして 日本リーグ、大学リーグ、社会人リーグ、天皇杯、Lリーグなどにも使用され、 サッカーに限らず、アメリカンフットボールやラグビーにも使用、多くのプレイヤーに愛された。 2002年のワールドカップでは、神戸は開催地となったが ユニバを改修するか、神戸中央を改修するか、二転三転したが 防災機能を備え、スタジアム周辺の公園の整備、神戸の球技の聖地として 新たに神戸ウイングスタジアムとして歴史を創ることになる。 (左)メインスタンド全景。中央部に電光掲示板がある。 (右)センターラインより、北側スタンドを望む。鐘紡記念病院が見える。 メインスタンドはちゃんとした座席だが、バックスタンドは駒場や平塚のような立見席。 両ゴール裏は芝生席であった。 雰囲気的には大阪・鶴見の鶴見緑地球技場のような感じか。 選手はここから入退場を行った。バックスタンド中央にメインの電光掲示板が見える。 2002年ワールドカップのため、取り壊される神戸中央。歴史が一つ終った・・・ 「神戸市立中央球技場」施設概要 完成:1970(昭和45)年4月 敷地面積:86120m2 建築面積:16700m2 延床面積:9700m2 スタンド面積:6900m2 構造:RC(鉄筋コンクリート)造 フィールド:110m×75m 芝種:暖地型芝+高麗芝 夏・姫高麗芝、冬・ペンファイン 照明輝度:平均設計輝度600ルクス 表示板:x大型電光掲示板(バックスタンド)、小型電光掲示板(メインスタンド) 屋根:なし 収容人数:20100人 メインスタンド(椅子席)・4000人、バックスタンド(立見席)・9900人、サイドスタンド(芝生席)・6200人 所有者:神戸市 管理者:神戸市 |